ようこそ!クズの皆さん!!

常にアクティブな生き方を探求しつづける。ブログはそれのきっかけにすぎない。

どんな生き方をしようが、自分の過去からは絶対に逃げられない。

ようこそ!クズの皆さん!!雅之(元DQN)です!!!

自分もしくは他人が何か壁にぶち当たった時によく、「過去の事なんて関係ない!」という言葉を耳にしますね?

「過去の事なんて関係ない!だから思い切って行動しろ!」みたいに鼓舞するような形ですよね?

僕はこの「過去の事なんて関係ない」という言葉はただの綺麗事で、その場しのぎのドーピングのような言葉にしか聞こえないんですよ。

人の人生というのは過去・現在・未来という形で形成されています。

「過去の事なんて関係ない」と宣言してしまうと自分の過去おろか今現在までも見れなくなります。

自分が歩く時目線を真っすぐにしか向かないと足元も後ろも見えなくなりますよね?ずっと前を向いて歩いていたら疲れますよね?

人生も同じ。何か迷いが生じたら一旦立ち止まって後ろを振り返るなり、今の自分の状況を確認する事で自分らしい生き方ができるのです。

f:id:masayuki0705:20170707163859j:plain

今の自分を形成しているのは過去の自分がいるから

SNSでも前回の記事でもお伝えしましたが、僕はリバ邸茨城に移住して2週間で退去しました。

荷物をまとめてみんなにご挨拶という時そこにいるおじちゃんおばちゃんとの会話にて、

「あなたは優しすぎるから強くなりなさい」

という一言がでました。僕は適当に聞いていました。何故なら“参考にならないから”。

もちろん相手は僕の全てを知りません。たった2週間の僕の印象でこの事を言っています。短絡的な見方でしかできないのは当然です。

けど勘違いしちゃいけないのは、そういった簡単な言葉をかけて人の欠点を解決できるほど簡単な世界はないのだという事

“自分が思っている以上に他人は複雑な経験をし、正比例して複雑な性格で出来上がっている”のだという事を短絡的な見方しかできない人に訴えたいです。

故に他人の性格を考えるにあたって自分の経験則なんて全く役に立たないという事なんですよ。

単純な人生を歩んでいれば、その分単純な性格になるし、

複雑な経歴があれば、その分複雑な性格になります。

もちろん家庭環境、学校生活、職場その他集団生活色々な要因が重なって今の自分を形成しているのです。

過去色々な経験をしてきた僕としては、単純な見方しかできない人からのアドバイスは残念ながら受け取る事はできません。

特に体育会系の前例主義に基づいた発言は全く参考になりません。

そういった意味があるので僕は自分の過去の経験を相手に論じる事はほとんどないのですが、もし言うのなら「自分だったらこうする」「説教臭くてわるいんだけど」というような言葉は必ず付け足すよう心がけています。

人の数だけ歴史があるので、それに土足で上がり込むなんて本当に相手にとって失礼な行為です。

なので何かに迷いを生じた時は、周りの事など一切考えずまずその場で立ち止まる。

そして自分の過去に振り返って、紙やネット上にアウトプットする。今の自分と比較する。

それから前を向いて歩くのが正しい選択ではないですか?

一旦立ち止まる事が下手くそな日本人

「過去の事なんて関係ない!ひたすら前を向いて歩け!」という言葉がはびこる理由の一つに、“日本人は毎日をフルスロットルで生きるべき”みたいな幻想があります。

未だに日本はひきこもりやニートに対して認知はあっても、理解されずただ「そういう人間は甘え」と言って「正社員で毎日一生懸命働け」と根性論を唱えます。

何か人間関係などでぶつかっても「みんな○○して乗り越えているんだ!」と相手の分析もせずに一瞬の切り替えを要求してきます。

本当に日本人って“まず立ち止まって休む・考える”事が下手くそすぎる思考停止民族なのです。

僕がリバ邸茨城を出た時も自分の感情論が強いのが原因でした。それでも出る前にひきこもって自分の中でゆっくり考えた上での決断なので全く後悔していません。

ブログ運営に嫌になっても今日まで続けてこれたのも、一旦更新をストップして他の事に分散をしたから。今では適当論でも続けられているので自分にとって正しい選択と言えるでしょう。

そしてもう一つ日本人が下手くそだと思うのが、“自分だけの時間とエリアを確保する事”

東京都内で正社員として働き家族を持つ人は毎日、

満員電車に揺られて、

会社という組織、同僚と絶えず繋がりながら仕事をし、

帰ったら家族と触れ合い、

自分だけの時間を作れないまま老いて死にます。

自分と向き合うには自分だけの時間を少しでも作らないと出来ません。その少しの時間を作る事ですら日本人は下手くそで、絶えず他人と繋がらなければいけないという義務感に苛まれているのです。

「自分の過去なんか関係ない」と逃げて、周りに流される人生に深みはありません。

立ち止まる事で視界良好になる

僕が去年11月に仕事を辞め、実家にひきこもるようになってからわずか1ヶ月。自分の過去を振り返って「自分には何ができるのか」と考えられるようになりました。

もしひきこもらずに仕事を探し続けていたら今の僕はいません。ブログを書いて人生について考えようなんて微塵も考えていません。

体育会系の人の考える視野が狭いというのはそういう事であって、立ち止まるという事をしないから。

そういった自覚がない人ほど、

  • 自分にとってそぐわない後輩→体罰という低レベルな暴力をする
  • 先輩からの教えを100%聞く→上の人間の言う事は絶対

など思考停止になってしまうのです。

僕がこういった人たちと深い関わりがあったにも関わらず、体育会系の人の思考に染まらなかった要因はやはり自分自身の時間をしっかり作り自分なりに考えるようになった事です。

体育会系以外の人にも言えますが、他人と絶えず繋がっている人ほど「他人がー」「他人がー」とうるさくなる傾向にあります。

そういう人ほど学校生活では必ず友達を作り、会社の同僚との付き合いを重視し、結婚し子供を作ります。

比較対象が常に“他人”なので、自分と見つめ合う時間を確保しない。他人本位であればあるほど、自分本位で動く人を絶対的に許せなくなる。そうなるとものすごくその人に対して攻撃的になるんですよね。

他人の事ばかり論議するような人は物事に対して“鈍感”な人が多いです。

“他人との付き合いをまずシャットアウトして、自分と見つめ合う事で光明を見いだせる。”

その事に気付かない限り、一生盲目な人生を送る事になります。

自分の過去に立ち向かってみる

「過去は関係ない」とポジティブになる事は決して悪くありません。ただ長い人生をフルスロットルで駆け抜けられるほど人間は強くありません。

たまにはネガティブにでもなって、後ろを振り返る時間も絶対的に必要です。

今現在の僕は本当に空っぽの状態です。

「あれやりたい」「これで稼ぎたい」という欲がありませんし、今は何も考えず実家で過ごしたい気分です。

何も考えずダラダラと過ごす時間というのは何も決して悪い事ではなく、例えばYouTubeを何気なく観ていると考えさせられる動画を見つけたりなど新たな発見も意外にあります。

僕がブログを始められた最初のきっかけも何気なくネットサーフィンをした事からですので、“何も考えないひと時”も大事であります。

今回もまたオピニオン記事になりましたが、これからは自分の過去について徹底的に記事にして書くつもりです。

何も考えずただ自分の過去について忠実に書けるし、そこから生きる上でのヒントにもなるので僕は自分の過去についてできるだけ詳しくブログ記事にして書いていきます。

振り返れば振り返るほど経験によっては辛くなるだろうし、詳しく過去を語るとなると億劫になるかもしれません。

ですが過去に立ち向かえば、またポジティブに未来に向かって歩けるかもしれない。

みなさんも未来が不安なら、まず立ち止まって自分の過去に振り返りましょう。