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ようこそ!クズの皆さん!!

自分語り・社会派オピニオンなどを記事にしてます!主に社会不適合者さんを応援してます!

僕が“元DQNブロガー”と名乗る理由と深いワケを熱く語る!!!

ようこそ!クズの皆さん!!

押忍!元DQNブロガー雅之と申す!!!@moto_dpn_masa

今週に入ってブログ開設2か月目。もはやブログのアクセス数など関係なく、ただ自分のやりたい事や本音で語りたい事を喋っている事ができて満足な日々を過ごしています。

今年に入ってイベントなどにも少々顔をださせてもらっておかげで色々なブロガーさんと交流できているのですが、どうも僕の事を“元ヤン”とか“元不良”と勘違いされている方が非常に多いです。

その勘違いされると、必然的に“怖い”という第一印象で終わってしまうので、正直僕としてはそれは少し寂しい。

僕は元ヤンや元不良でなく、“元DQN”なのです!

「何が違うの!」という方もいらっしゃると思うので、今回は“DQN”のご説明となぜ僕がブログを書き続けているのか?という事をご紹介します!f:id:masayuki0705:20170404160947j:plain

元DQNとは一体なにか?

ヤンキー・不良とDQNの違い。

www.welcome-kuzu.xyz

DQNとはこちらの記事にてご説明した通り、ヤンキーや不良のインターネットスラング。つまりネット上でそういった方の軽蔑する時に使われる言葉です。

「じゃあ一緒じゃん!」・・・いや個人的には違うものととらえてます。

ヤンキーや不良というのは周りとは違う格好をし、威嚇して周りを寄せ付けないようにする人たちが多いです。実際に一般の方から見たら近づきがたいですしね。

そうやって独自の文化を守り続けることによって、自分のプライドやメンツも守り続けているのです。

対してDQNというのはそういった人も含め、“例え自分が他人に威嚇する意思がなくてもDQNと名指しされる人の事”なのです。

例えば目の前に工事現場のとび職の人がいるとしましょう。

その人は作業着姿ですから、普段の格好や生活スタイルは当然わかりません。ですが一部の人はとび職の人を勝手に「DQNで犯罪まがいの人間だ」と批判し、レッテルを貼るのです。

確かにそういった職業柄の人ってすごく荒々しい性格の人が多く、現場でも怒鳴り声が度々聞こえます。

だからと言ってとび職の人を勝手に“野蛮な人間”と決めつけるのはおかしいと思いませんか?実際仕事以外では優しい一面のある方もいますし。

人を見せかけだけで判断した野蛮な人物像、それがDQNなのです。

なので僕は威嚇もせず(車のクラクションで多少しましたが)、独自の文化にどっぷりつからなかった。批判する人から見て僕は“元DQN”なのです。

元DQNに秘められた想い。

ではなぜ元DQNと名乗っているのか・・・

僕は今までDQNと呼ばれる人たちと集まって遊んだり、改造車に乗ったりとやんちゃをしていた時期がありました。

でも自分が野蛮な人間にならなかったのはそういう人たちと関わって疑問がでたからです。「こいつはおかしい」「筋が違う」などと言ってそういった人と縁を切っていました。

理由は真面目すぎたから。真面目すぎたから冗談も通じず、ふざけた行為も疑問がでたという所でしょう。

すると自然にネットに深く関わるようになりましたが、そこで出会ったのが“DQN”というワード。

先程申し上げた通り、自分の勝手な思い込みで相手をDQNと批判する行為に今度はそちらに疑問がわきました。

ネットの掲示板とかですと当然匿名で顔を出さずにそういった人を批判する人が大多数います。

個人情報がうるさくなったネットでは当たり前ですが、この行為は自分を守る事しか考えないダサい行為にしか見えません。

元DQNと名乗り顔出しまでしている理由は、“匿名顔出しNGで勝手に相手を批判する行為はみすぼらしい”という僕なりのメッセージなのです。

人として真面目なのはいいけど、真面目すぎるのも人としていかがなものかと思います。だから元DQNと逆に自分にとって卑屈なイメージを残す事でハングリー精神というのを養っていきたいという狙いがあるのです。

元DQNが書いているブログ。

それでも一般の方から見たら僕のブログは怖いとか、生産的でないと思われるでしょう。「ヤンキー・不良なんて古臭い、時代背景に合ってない」というご意見もあるでしょう。

不真面目な印象しか残らないから、読んでいる自分にとって役に立たない・・・ と思われるでしょう。

しかしそれは実際にそういった方と関わった事がないからリアルさを感じれないだけなのではないでしょうか?だから共感もできないし、面白くもないと感じてしまうのです。

もちろんどういった人に関心を寄せるかはあなた次第ですが、“時代背景”などと言って時代に合った生き方しかできないのは少しもったいない気がするんですよ!

日本人は過去の事例から学びすぎている。

過去の事例でいうと昭和時代の暴走族があげられます。

暴走族が出てきたのは1960年代。当時は高度経済成長期で社会的にストレスを抱え、それを発散するためバイクで暴走するようになった。結果犯罪や抗争事件などが増え取り締まりなどが厳しくなり、時代とともに淘汰されていきました。

そういった過去の事例から暴走族は怖い・野蛮な人間だという印象が植えつけられ今に至りますが、正直今の現代人は他人に対するレッテル貼りが度が過ぎていると感じます。

先程あげた例で言うと、とび職の人というだけでその人の生活態度や生活スタイルなど勝手な人物像を作り上げ、挙句の果てには「こいつは親のしつけがなってない」などと批判する人もいます。

ヤンキー・不良でなくても、よく無職の人が犯す事件は度々ニュースで報道されます。

その度に「これだから無職の人間はー」と批判する人がいます。もうその人にとって無職の人は犯罪をするような野蛮な人間!という概念なのです。

「これだから」という言葉を使っているという事は、その人が見た報道や経験則だけで判断しているという事。

色々な角度や切り口で調べもせず、ただ身勝手なレッテルを貼っているのです。

人から勝手にレッテル貼りされるほど辛いものはない!

実際僕も過去にレッテル貼りされて不快な思いをしたことがあります。

二十歳を過ぎた時僕は今のように無職で、「とりあえずバイトするか」という事で近くのスーパーに面接希望の電話を入れました。

すると、「あんたみたいなねえ、フリーターの人間はウチは受け付けないの?分かる??」と言ってがちゃんと電話を切れられました。

もちろん店の事情だから受け入れるか否かは向こうしだいですが・・さすがに言い方ってもんがあるでしょうが・・・

この電話の相手から見たらフリーター=不真面目→長く続かない→自分にとって相応しくない人間だと思って僕を拒絶したのでしょう。もちろんこの人は会ったことのない人です。

過去にフリーターの人がすぐ辞めたのか、ただ単にフリーターのイメージが悪いだけなのか。

なんにしても自分の思想を押し付ける失礼な行為です。

このように会った事のない人でも自分勝手に「この人はこれこれこうだ」と批判する行為はネットでは日常茶飯事におこなわれてます。

DQNに対する批判も同じ。例え相手がヤンキーや不良でなくても「こいつはDQN。育ちが悪い。」と勝手に批判。

「育ちが悪い!」と批判している人が育ちが悪いと僕は思うんですがね・・・

人には歴史があり、深みが必ずある!

「意外とこの人○○かも!」と気づくかどうか。

僕が普段バカな事をしたり、こうやって真面目な記事を書く事によって「おっかない人間っぽくない」というご意見がでてきます。これが僕の色なのです。その色の深みを僕は皆さんに分かってもらいたいんですよ!

深みというのは深く掘り下げないと見えてこないですし、身勝手にレッテル貼りをしていたら当然見えてきません。

ヤンキーや不良は単純。単純だから分かりやすい人間だから付き合うまでもない。その時点でその人との出会いを失っています。

おかげさまでブロガーさんのイベントでお会いした方皆さんから、「雅之さんは意外と丁寧で優しい」という言葉をいただいてます。そういった気づきってすごく大切なんですよ。

もちろん中にはおっかない人間がいるかもしれない。そういった詮索って必ずあると思います。

それでも「あいつは野蛮な人間だ」と断定して拒絶する行為って、本当に相手に失礼な行為ではありませんか?

深みを知らないのに相手を一色で決めつけるのはおかしい!

僕はDQNだけでなく色々な肩書を持ってます。

現在ひきこもりニート、学生時代はエリートおぼっちゃま、転職回数20回、発達障害などなど。DQNとは明らかにかけ離れた経歴も持っています。

色々なジャンルの記事を書いている僕のブログはまさしく人生そのものであり、記事という形で具体化しています。

人の人生は色々な色で作られ、歴史になってます。これはヤンキー・不良も同じ。

皆さんご存知の通り、ヤンキーや不良の書いたブログはあまり存在しません。せいぜいあっても日記くらいで長く続く人もほとんどいません。僕から見たらすごくもったいない!と思います。

そういった人も面白エピソードを発信し続ければ興味のない方も目に留まるかもしれないですし、社会に対する問題提起とか書けば「あ、意外とこの人真面目なんだな」とギャップを感じる事もできます。

ですがそういった人の場合、身内通しの世間話で終わってしまい忘れ去られてしまいます。だからこそブログという媒体で残すべきなんですよね。

ブログという倉庫に保管すれば、だれかがピッキングしてくれて世間に知れ渡るかもしれない。それがレア物なら皆に興味を持ってくれるかもしれない。

逆にブログを見る側も自分の知らない世界を知り、自分にとってダイヤの原石かもしれない。そう考えると自分って井の中の蛙なんだなあと自覚する事もできる。

人の深みを知らないで相手を「これこれこうだ」と決めつけている人に聞きたい。

「あなたはその人のリアルを知っているのか?」と。

人生なんて人それぞれ。濃い薄いで決めるものではない!色彩で決めるものだ!

DQNという言葉が周知され、皆さんに考えてほしい!だから僕は必死になれる!

というように僕がブログを書いている理由それは、

  • 人に対するレッテル貼りから脱却してほしい!
  • 人の深みを知ってもらいたい!

という願いがあるからです。

まだまだ僕自身も他人の事が理解できないとか、レッテル貼りをする事は何度かあります。

ですがその人の本質を知るよう努力する事が大事であると日々心がけています。

DQNと呼ばれる人たちはなかなか一般の人の心に寄り添わない。だからその人達は独自の文化を守り、一般の人は近づきがたい。この構図が出来上がってしまってます。

なので僕が少しでも距離を縮めたいと思ってブログを書いています。

www.welcome-kuzu.xyz

何もヤンキーや不良を好きになってほしいとは言いません。

ヤンキーや不良などのDQNでなくても、世の中には“異物扱い”される人は沢山います。

いじめや仲間外れが起こるのは、その人が自分にとってそぐわないものだから排除し保身をするから生まれるのです。ようは異物扱いです。

今の日本はいじめや仲間外れされないよう、必死になって周りと無理矢理合わせる集団主義が横行してます。

実際“やんちゃ”と呼ばれる子供は徐々に減りつつありますよね?

www.welcome-kuzu.xyz

そうやって平均で並べられる社会って本当につまらないですよね?

僕は自分を“異物”と認め、その“異物”を皆さんに評価してもらいたいのです。もちろん僕の事やDQNをどう評価するかはあなた次第です。

自分勝手に「それみたことか!」と短絡的に人を見ないでほしい。僕は強く思います。

最後に僕から一言。

 

座右の銘に一期一会がよく使われるけど、本当にそう思っているの?

 


今日はここまで!


お疲れっす!